23. オピニオン

コロナワクチンを打って後悔した理由

ワクチンを接種した経緯


コロナワクチンの接種を昨年から渋っていましたが、周囲に勧められて接種しました。接種は30分程度で終わる簡単なものでしたが、その後後悔しています。忘れないうちにこれを言葉にしておきたいと思い、溜まらず会場だった市川市の市役所でこれを書いています。

なぜ後悔しているか

今までおかしいと思っていた政府やメディアの対応ですが、それはどちらかと言うと第三者の視点でおかしいと批判していたわけです。それが、ワクチンを打つことで見当はずれだった政府やメディアの対応のつけがワクチンのリスクを望まない人に背負わすという形で来ていることに非常に憤りを感じています。

mRNワクチンはそもそも気持ち悪いワクチンです。タンパク質の設計図を入れることで人体を工場にして別のウイルスの一部を人体内で作らせるという仕組みについて生理的に受け付けません。新しいタイプのワクチンであり、中長期的な安全性は実証されていませんし、それを望まない個人が「自主的に」接種せざるを得ない状況に陥っていることが非常に不満です。「なんかあったら給付金も出るから大丈夫ですよ」という人もいるかもしれませんが、給付金で責任取れるというなら自動車事故で人を傷つけた時、保険から支払われたお金で解決したというようなものです。相手の不自由さを代わりに償うことなんてできないわけですから、それは根本的におかしいわけです。

政府とメディアの対応がおかしかったわけ


まず、今まで政府やメディアの何におかしいと思っていたのか書きましょう。

そもそも、日本のコロナウイルスによる重症化率は欧米に比べて低いです。まして現役世代においてはほとんど無視できるほど低く30代の男性で0.001%程度です。したがって、欧米と同じ対策は必要ないことは誰でもわかることですが、それでも日本が取った行動は欧米と同じかそれよりも厳しいものでした。結果的に高齢者のために現役世代、将来世代が犠牲になったと感じています。

具体的には、

  • 日本の財政が厳しい中でもお金を擦りまくって財政悪化に拍車をかけたこと、
  • 現役世代の普段の生活を持病がありリスクの高い高齢者と同じレベルまで制限をかけたこと、
  • 学校を休校にして子供の学習機会まで奪いましたし、学生の自殺者は増えました。 

空気で対策が決まり、定量的な議論や民主的なプロセスがないままに政策が決まりました。政治家は投票によって選ばれている以上、結局層の厚い高齢者向けの対策に走ることになり、以上の結果につながったと考えています。


役世代がほとんどの人が軽症で済むような感染症ですから、緊急事態宣言や蔓延防止法等重点措置などの対策、ワクチンも必要なかったと思います。周囲に人がいない屋外でのマスク着用も必要ないと思います。本来、リスクが高い人が優先的に自分を守れる仕組みを作るべきで、そういった人のレベルに社会全体が合わせるなんて経済的な損失を含めて副作用が大きすぎることは明白だと思います。

それにもかかわらず、なんでこーなっちゃの?おかしいよね。

ずっとそんなふうに思っていました。

結局、個人がその責任を負うことになった

でも、今まではそれは周囲のおかしいことやっている人を見るような視点で眺めていたわけです。しかし、ワクチンを打つことによって構造が全く変わってしまいました。なぜなら、ワクチンの責任は当事者しかとることはできず、何かあった時の「救済措置」など意味をなさないからです。

これは、誰かを交通事故で傷つけてしまった時、お金で解決できないことと似ています。対人事故についてお金で解決物損の交通事故に対してはお金で解決ということもできますが、人への被害をお金で解決することは根本的には不可能なはずです。なぜなら奪ってしまった身体的な自由をお金が解決することはできないからです。交通事故で人を傷つけたらやばいことになっちゃったって思いますよね?それは、無条件に相手に対して不自由な身体の責任を負わせる行為が重いからです。結局身体や心が傷付いたら当人以外の誰かが代わりに責任を負うことはできず、被害者が全てを引き受けなくてはなりません。

ワクチンも同じです。万が一でも発生するリスクに対して責任をおいことは本人しかできません。したがって、ワクチンを打つことは自身の意志で打ったかどうかが重要なのですが、根本的にそこに対して納得がいっていないにも関わらず打つことになってしまったわけです。これは個人的には人権が脅かされたとすら思っています。

mRNAワクチンの特殊性と倫理的な問題


そもそも、mRNワクチンは新しいタイプのワクチンであり、もっと慎重になるべきだと思っています。理論的には安全と喧伝されていますが、中長期的な安全性は実証されていませんし、そもそも人体を工場にして別のウイルスの一部を生成するということについて、生理的に受け付けません。
営利企業である製薬メーカが作ったタンパク質の設計図を自身の身体に入れて、そこで他の生物の一部を合成する。しかもその物質は自身にとって異物であるがゆえに抗体ができる作用を利用して効果を発現させるということに対してもっと個々人の捉え方が尊重されるべきです。

後悔のわけ


コロナの対応にはこれまでうんざりしてきましが、政府やメディアはおかしいことを散々やった挙句、望まない人にワクチンを自主的に接種させることはその他の人に責任をとらすようなものです。

自分で責任を取るなら周囲の人が何をしても「何やってんだろう」で終わります。でも、散々おかしいことをやっているにも関わらず他の人に責任を取らすのはおかしいです。今の気分はまさにそんな気持ちです。

ワクチンで障害が残ったら給付金が出るから大丈夫!なんていうけど、それは違うと思います。万が一でもワクチンの副反応があった場合の責任は自分以外誰も取ることができないからです。給付金を出すことは政府が責任を取ったことにはなりません。したがってワクチンを打つことは自身の意志で打ったかどうかが重要なのですが、根本的にそこに対して納得がいっていないにも関わらず打つことになってしまったわけで大変後悔しています。
私はワクチン接種によって人権が傷つけられたと感じ、憤りを感じています。

感情の落とし所


合成の誤謬は、個々の人は頑張っていても個別最適の結果、全体で見るとおかしいな方向にいっているという事例についていいます。つまり、誰かが悪者ではないのですよね。であれば、それを含めて自身の責任として受け止めるしかないかもしれません。そう考えて納得したいと思います。

データサイエンティスト
絹田 真也
千葉県市川市在住。大手通信キャリアのデータサイエンティスト。 個人で活動する場所が欲しくてブログをしています。 NP & Companyという個人事務所でITサービス企画開発も細々しています。 通信キャリアでデータサイエンティスト←古河電工でデータエンジニアリング←慶應大学←慶應高校
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