99. A-tag-not-highly-recommended

【アビダンマッタサンガハ8】§25 十の観智 

無常随観、苦随観、無我随観という三つの随観がある。

アビダンマッタサンガハ §24

観察で得られる智慧


これかが智慧の説明。 ヴィパッサナー実践とは、 ありのままにものごとを観察すること。 この観察作業が着々と進むときは、智慧が現れる。他の宗教では信仰が欠かせない条件になっているのと同様に、 仏教の場合は智慧が欠かせないものとなっている。

その知恵を事前に説明しようとするのがこちらの部分。 観察瞑想を実践することによ
り、身につく智慧は vipassanā-ñāna 観智といい、 十種類ある。

①思惟智は客観智

一番目は sammasana-ñāna思惟智。 Sammasana とは observation (観
察)という意味。 分かりやすく言えば、 よく調べてみることで、調べてみる能力が身についたならば、 思惟智に達したと言える。
思惟智とは、 ヴィパッサナー実践をする人に最初に現れる智慧。

心に感情が生まれたときも、その感情と、なぜその感情が起きたのかという原因も観察しておく。 眼耳鼻舌身意にデータが触れるたびに、 そのまま確認する。 このように修行し続けると、見事に確認能力が上がる。 何事が起きても客観的に観られるようになっています。 この能力を、思惟智と言う。

②生滅智は現象の生滅を観る

 
二番目のステージは、 udayabbaya-ñāna 生滅智。 思惟智に達した人が、次に生滅智に達する。一切の現象は生まれては消えるものである、という智慧。観察によって得られる知見。

③ 壊滅智は滅だけ観える

さらに観察を続けた結果、いかなる現象についても、「滅する、 滅するすべての現象が常に滅していくのだ、という真理でにきづき、 「かならず滅していく」という一切現象の本性が観えてきたところが、 壊滅智。

④ 怖畏智は恐れ


次はbhaya-ñāna 怖畏智。 ありのままに現象を観察したところでおのずから起こる恐怖感は、智慧。

⑤ 過患智は無価値の発見


次の智慧は、 過患智ādinava-ñāna 。ヴィパッサナー実践をする修行者は、まず客観的に観察して、生きるとは何かとデータを集める。 そして思惟智が現れる。 命とは生滅している流れである、と発見し、次に生滅智が現れる。 現象は派手に壊れるものである、と発見します。 次に壊滅智が現れます。 今まで生きることに喜びを感じましたが、今度は生きることに対して、恐怖を感じ、そして怖畏智が現れる。 結論として、命には何の価値もないと発見する。過患智とは、偏見で長所を無視して、 短所だけ取り上げるやり方ではなく、無常たるものには、 価値は成り立たない、 という智慧のこと。

⑥離智は自分を丸ごと厭う気持ち


過患智から、 厭離智 nibbida-ñāna が生まれてくる。 Nibbida とは、嫌うこと、興味を失うこと、諦める気持ち。 価値がないと分かったら、 自然に生まれる気持ち。過患智が現れたら、 生きることが無価値であると発見し、厭離智が現れたら、何としてでも生き続けなくてはいけない、という衝動は消えていく。

⑦ 脱欲智は解脱したい気持ち


次に、脱欲智 muccitukamyata-ñāna (muñicitukamyata-ñāna) です。 解脱
したいという気持ちが生まれる。

⑧ 省察智は思惟智に似ている


心が解脱の方向へ向いたら、 ある程度の落ち着きが起こる。省察智とは、心が解脱に向いてから、また現状を観察すること。第一の智慧であったsammasana-ñāna思惟智に似ているが、そのレベルが違う。

⑨ 行捨智は平安な心


次に、sankhara-upekkhañāna 行捨智が生まれる。 すべてのものごとについて、捨の気持ち、喜ぶこともなく嫌うこともなく、捨の、平安な気持ちが生まれる。ヴィパッサナー瞑想を通じて生まれる落ち着きのこと。

⑩ 随順する智


次に、anuloma-ñāna 随順智が生まれる。解脱に随順するという意味で、解脱への安心感による安心感を得ること。

Meditation Tools開発者
絹田 雅
複数の瞑想を学ぶことができるMeditation Toolsの開発者。 売上は人権段階を通じた寄附により社会をより良くすることに使われます。 利用はこちら
twitter-timeline